娘が教えてくれた両親の金婚式


両親は既に80歳を越えて元気で実家・九州で暮らしていますが、数年前に結婚50年を過ぎて金婚式で撮影した結婚記念写真が我が家に飾られています。

というのも、私は社会人になってから、転勤族のために全国を転々としてきました。

東京で就職したものの、東北の仙台~名古屋~九州の長崎・福岡と数年に1度のペースで移り住んできたのですが、そんな私も今、東京に戻り10数年余となってしまいました。

そんな私も最初の東京勤務時代に知人を介して知り合った妻と仙台で結婚をしたのですが、娘・息子2人の3人の子供も授かることができています。

これまで私も仕事中心の生活で家庭のことが妻に任せっきり。

子供ともゆっくりと会話することもあまりない中での結婚生活だったのです。

そのような中でも、九州の実家に帰省するのは、1年1度くらい。

子供が幼い頃は家族5人で帰ったものですが、成人すると子供達も一緒に帰省することもありません。

そんな時に娘から「おじいちゃんとおばあちゃんって、結婚して何年目になるの?」

この言葉をきっかけに両親が結婚して50年を迎えていたことに気付いたのです。

両親の金婚式祝いの写真が伝えてくれるもの

「もう結婚して50年になるのか」

そう、金婚式を迎えていたことが分かりました。

私も自分の親がそれだけ長い年月を共に生活していたなんて、改めて考えることもありませんでした。

しかし、50年以上も一緒に生活していたことに感慨深いものを感じたのです。

そして妻が言ったこと。

「お義父さんのことだから、金婚式なんてやっていないんじゃない?」

そう、昭和初期に生まれた父はやはり仕事一途の人間で、金婚式のことなんて振り返る性格の人ではなかったからです。

「女房は旦那の後ろから黙って付いてくるものだ」というふうに古い考えを持った人です。

それに涙もろい一方で、とても頑固な性格。

そんな性格だったので、金婚式をすることなんて考えることはなかったのです。

「それなら私達で金婚式してあげよう」

娘の提案でした。

ちょうど夏の休暇があったので、本当に久し振りに超ロングドライブで、九州まで家族5人で帰ることにしたのです。

そう、両親の、子供達にとっては祖父母の金婚式のために。

しかし、実家に着いても特別なことはしません。

両親と私達家族7人で近くの旅館で豪勢な宴を開いたくらいです。

それでも、クライマックスは写真館で、金婚式祝い写真を撮りました。

両親2人の写真。

3人の孫に囲まれての写真。

この時の父と母の笑顔が、何と柔和で穏やかな顔だったことか。

私は両親が共に暮らしてきた50年という長い月日が、とても貴重で充実した生活だったことを改めて知った時でした。


10年目の結婚記念日

私達の結婚していつの間にか、結婚して25年を過ぎした。

今、振り返ると、結婚10年目の時はどうだっただろうかと思い返すことがあります。

ちょうど、10年目の頃は福岡にいた頃ですが、子供達は小学生。

妻もまだ子育てでバタバタとしていた頃です。

東京出身の妻にとっては、慣れない土地でした。

仙台でせっかく子供を通じて知り合ったママ友さん達とも、私の転勤のために離れてしまうことになったりと、友人がいない土地での生活・子育てで苦労をかけました。

元々、看護師として働いていた彼女だったのですが、まだ子供が小学生だったこともあり、社会復帰はしていない頃で、専業主婦として目まぐるしい毎日だったことと思います。

しかも、私も福岡で働いていた時は、それまでの社会人生活の中でも最も忙しい時期でした。

福岡から九州全域を社用車で営業をしていたこともあり、1週間の中で帰宅できるのは、ほんの1日程度。

苦しい妻の愚痴や悩みを聞いてあげることも、ほとんどありませんでした。

今から考えると、よく不満をぶつけずに我慢してくれてるなと、思ったほど。

このような環境の中で、結婚10年目を迎えていたのです。

この頃は、TVでも「スイート10ダイヤモンド」のCMをやっており、慌ててネックレスを妻に贈ったくらいです。

「どうして、結婚10年目の記念写真を撮らなかっただろう」

と反省するこの頃なのですが、過去を取り戻すことができません。

家族写真を撮って残すことが大好きな妻にとっては、とても残念なことだったかもしれません。

子供の運動会やピアノ発表会では、必ず家族5人で写真を撮っていましたし、応援に駆けつけてきた両親も含めた写真を残していたので、10年目の記念日の結婚記念写真を残せなかったことが悔やまれて仕方ありませんでした。

 

私達の銀婚式祝い

しかし、時が経つのは、実に早いものです。

結婚10年が過ぎ、東京に転勤してから、あっという間の10数年でした。

小学生だった子供もすでに成人になり、娘は看護師、息子2人は大学生まで大きく成長。

それだけ私も妻も年齢を重ねることになったことは当然なのですが、気付くと結婚25年になっていたのです。

「もう銀婚式なんだ」

それは私と妻の感想です。

東京に転勤してから、子育ても落ち着いてきたことで、妻も看護師として社会復帰しました。

その背中の見て娘も看護師になったことは少し面白くも感じたのですが、子供達が大人になるまでは、あっという間の時の流れのように思えるのです。

そして、社会人になった娘が言うのでした。

「お父さん、結婚して25年じゃん。おじいちゃん・おばあちゃんの時みたいに結婚記念日の写真撮るよね」

確かに10年の記念日の時の結婚記念写真を残していなかったので、銀婚式は何としても撮っておきたい。

そんな気持ちが強くありました。

25年目の銀婚式祝い写真と撮ろうと決めてからは、即行動。

撮影してくれたのは、東京に引越してからお世話になってきた近所の写真館でした。

子供の小学生の卒業式から始まり、中学・高校の入学・卒業の記念社員、成人式の撮影と、節目節目の記憶のアルバムを残してくれて来た写真館です。

そこで、私達の25年の結婚記念日の記憶を写真として残せることは、とても嬉しくもありました。

ただ、今、銀婚式の写真を見て笑ってしまうことは、私が着ていたスーツが苦しいこと。

仕事でもスーツを着る機会が少なくなり、久しぶりのスーツ姿だったのです。

かなりお腹周りがきつくなり苦しい中で、ひきつった笑顔での記念写真でした。

それを見た子供達は大笑いですが、それでも2人の25年の生活の節目の思い出を残せたことは、とても良かったことです。

 

両親の金婚式から私達の銀婚式へ、そして子供達の結婚記念写真

今、私達の銀婚式祝いの2人の写真、家族5人で撮った記念写真は住まいのリビングに飾っています。

そこには両親の50年の金婚式祝い写真もスタンドにして立てています。

ここには子供達の幼い頃からの写真も含めて、我が家の思い出が置いてあります。

これらの写真を見ると、本当に月日が流れることが早いなと感じてしまいます。

しかし、両親の金婚式の写真の中にある笑顔を見ると、

「あなた方いたから、僕がいるんだ」

そして、私達の銀婚式の妻の写真を見ると

「お前がいてくれたから、子供達がいるんだ」

と、妻にも、両親にも感謝しています。

両親の金婚式の写真も、私達の銀婚式の写真も、単なる結婚記念写真だけではありません。

この写真を見つめ返すことで、その時々の思い出が蘇ると同時に両親や妻に感謝できる思い出箱なのかもしれません。

ぶっきらぼうな二男さえ、時折、金婚式の祖父母の顔を見ている時があります。

まるで写真が家族のつながりを作ってくれているようにさえ思えたのです。

もしかすると、結婚記念日の写真は記憶を留める思い出の写真だけではなくて、家族のつながりを再認識させてくれる重要なアイテムなのでしょう。

数年も経つと、娘も息子達も結婚して私達に孫を授かることになります。

その時に金婚式祝い家族写真を撮ってもらい、次の世代に紡がれていくことを願うばかりです。

妻に感謝、両親に感謝、そして子供達に感謝。

そんな思いを呼び起こしてくれるのが、金婚式・銀婚式祝いの結婚記念日の写真なのです。

金・銀婚式祝い|結婚記念日写真は福岡市フォトスタジオ
原田写真館(香椎参道通り)Since1969

結婚記念日ホームページ http://wedding-haradaphoto.com/

結婚記念日フォトギャラリー
http://wedding-haradaphoto.com/gallery/

福岡市写真館 原田写真館Since1969 オフィシャルホームページ


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