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結婚記念日物語6 〜銀婚式祝い写真は、夫婦と子供の絆の証〜

 

25年目の結婚記念日で撮影した銀婚式祝い写真

 

東京に移り住んで、早や15年。

私は東京で就職して転勤を繰り返し、何度も引っ越しを経験してきました。

東京に6年仕事をして以降、東北の仙台、名古屋、そして、生まれ育った福岡に1度は転勤で移り済んだものの、再び東京へ。


そんな目まぐるしいサラリーマン生活の中で、東京で知り合い、仙台で結婚することになった妻。子供も3人授かり、5人の賑やかで明るい家族で全国を転々としてきたのです。

 

おそらく子供にとっては、親の転勤で学校を転校することて、せっかく仲良くなった友達も離ればなれになって辛い思いをさせたかもしれません。

 

それにも増して、東京出身の妻も会社からの辞令で引っ越しを余儀なくされることで、見知らぬ土地柄でよく家庭を支えてくれました。

 

元々、看護師の仕事をしていた妻も、私の転勤に合わせて引っ越し先では慣れない全く異なるパートの仕事をしたりと、頑張ってくれたです。

 

そして、10数年ぶりに東京に戻ってきたのですが、もう15年になってしまいました。

そして、ふと気付くと仙台で結婚して、昨年の5月が結婚25年目の節目だったのです。

 

毎年、5月の結婚記念日は仕事の関係で、まともにお祝いをする機会があまりなく、妻にもきちんと感謝の言葉をかけることができなかった時もありました。

 

でも、やはり「25年」と節目に写真館で銀婚式祝いの記念写真を撮ることにしたのです。

そのアイデアを出してくれたのは、社会人になったばかりの娘でした。

 

「お父さん。せっかくの結婚記念日だから、お母さんときれいな写真を残したら?」

そのおかげで、銀婚式祝いの記念写真を撮ったのです。

 

 

蘇る5年目の節目の結婚記念日写真

 

銀婚式祝いの写真は、スーツ姿の私と妻の2人での写真。

そして、母親の背中を見て、現在、看護師として頑張っている娘と2人の大学生の息子達の5人での家族写真。

 

出来上がった写真を見ると、自分ながらに笑顔が光っている妻と子供達です。

しかし、私がちょっと不自然な笑顔だったかもしれません。

 

それは結婚記念写真撮影の時に着ていたスーツがかなりきつかったからです。

と言うのも、会社では3年前からドレスコートが自由になり、営業ではない限り、スーツではなくカジュアルな服装で勤務することが許されていたからです。

そのために、ネクタイを締めてスーツを着たのは、本当に久し振りでした。

そのために肥満気味になって、苦しかったのです。

 

それでも、大切な銀婚式祝い写真。

心の中では「苦しい!」と思いつつ、ひきつった笑顔をしていたのです。

 

出来上がった写真を見ると、本当に不自然な笑顔だったのですが、それがまた家族の笑いを誘ってしまいます。

 

この結婚記念写真を見て、笑いを我慢していたようですが、一言いうのです。

「そう言えば、名古屋で結婚5年目の結婚記念写真を撮ったよね。」

おもむろに本棚に仕舞っていたアルバムを開くと、確かにありました。

 

まだ、娘が3歳の頃だったかと思います。

私もちょうど30歳半ばです。

娘が5年目の結婚記記念の写真を見て、言うのです

「えっ、お父さん、若い!ちょっとだけイケメン風かも。今はダメだけど、ねっ!」

と、娘も息子達も昔の私を見て、大笑いです。

 

結婚10年、20年記念の思い出は?

 

もう、銀婚式祝い記念写真をきっかけに、5年目の結婚記念日の
思い出の写真まで引き合いに出されて、意外な展開になったのです。

 

でも、「結婚の節目の写真は他にあっただろうか?」と思ったのですが、思い返すと、10年目は確か福岡に住んでいた時でした。

 

この頃は、私も仕事が最も忙しい時期で、自宅に戻るのも毎日が午前様。

しかも、朝も6時には自宅を出て、営業車で鹿児島や宮崎までお客さんの所に行くパターンが3年程続いたのです。

そのために、10年目の結婚記念日の思い出として残った写真が残念ながら、ありませんでした。

 

私が妻に贈ったのは、スイートテンダイヤモンド。

この頃、テレビでもよく流れていたCMを見て、大金をかけて買ったダイヤの指輪でした。

 

でも、妻は子供達の成長の写真を撮っていたので、その時の懐かしい記憶は画像に時を刻んでいたのです。

 

そして、20年目の結婚記念日は、東京に戻ってきてからのことです。

この時も、さすが大都会での仕事だけあって、営業でも大きな仕事をしていることもあり、深夜に帰宅することも少なくありませんでした。

 

しかも、全国、出張に行く機会も多く、月曜日に自宅を出てから、全国飛び回り、帰宅するのが、金曜日か土曜日の朝ということも珍しくはなかったのです。

そんな環境の中で、20年目の結婚記念日。

しかし、気付くと20年目の結婚記念日が1日過ぎた翌日に出張先から帰宅。

完全に怒った妻のご機嫌が戻るまで、1週間はかかってしまいました。

これも、今になっては、笑い話になっていますが、この時は必死に頭を下げた記憶が残っています。

 

銀婚式祝いの写真を見て思うこと

 

そんなことから、やはり結婚の節目にはちゃんと思い出を写真にして残しておかなければと思っていたのですが、そのことを娘が提案してくれて、本当に良かったと感謝しています。

 

銀婚式祝いの写真を見ると、妻も50歳を過ぎても、まだまだ若い笑顔をしています。

私も少し白髪が目立ち始めていたのですが、この結婚記念日写真を撮るだめに、黒く染めて望んだのです。

 

娘も息子達も成人式で着ていたスーツに身を包み、凛として姿勢で撮影。

普段は”ゆる系キャラ”ではないかと思える長男も、シャキッとして写真に移っていたのですから、「馬子にも衣装」という感じだったのです。

 

でも、本当に心を明るくしてくれた結婚記念写真は、正装した写真だけでなく、普通に笑い、顔がゆるんだ時にシャッターチャンス的に撮られた何枚かの写真でした。

 

この時の妻や娘のホッした顔も、また、私達の飾り気のない自然体の顔かと感じました。

銀婚式祝い記念写真は、ある意味、フォーマルな写真かもしれません。

 

見栄え良くするために、姿勢を伸ばして凛々しい姿で撮っています。

笑顔を出していても、撮影が終わった後に、本当の私達の姿が現れてしまうのでしょう。

だからこそ、その時のベストショットの写真も、フォーマル写真とギャップがあり過ぎて、笑いを誘ってくれるのかもしれません。

 

「親父!ちょっと気張り過ぎじゃない?」

「お前だって、いつもポケッとしてるけど、記念写真は珍しく凛としてるじゃない」

私と長男の笑いながらのトーク。

こんな会話ができるのも、ちょっと硬めの雰囲気のある銀婚式の写真と、自然体の姿で撮影された写真のギャップがあるからです。

 

そして、銀婚式のために撮影した記念写真は、出来上がったその日に、我が家の歴史の1ページを追加してくれることになります。

 

我が家に飾ってある結婚記念写真

 

我が家には思い出の写真がたくさんあります。

それは、子供達の写真を撮影することが好きな妻がいるからです。

私も初めての子供して、娘が生まれた時は、あまりの可愛さに写真を撮ったものですが、段々と慣れてしまったのか、息子達の写真は全く撮っていなかったのです。

 

しかし、妻がちゃんと子供達の写真をこまめに取っていました。

入学式、運動会、ピアノの発表会、少年野球の試合など、思い出の写真はアルバムからスマホの写メまで。

 

でも、やはり、子供節目の七五三や入学式・成人式は写真館で撮って残してきました。

転勤で全国転々としてきたのですが、その時々で残してきたのです。

 

その写真が写真スタンドに入れて、リビングに飾ってあります。

そして、私と妻の銀婚式祝い記念写真も、そこに並ぶように立てられました。

これを見て、私が本当に様々な記憶が読みがってきたのですが、子供も妻も、銀婚式の写真だけでなく、子供達の節目の写真も見て、数々の思い出を掘り起こすように、昔話に花を咲かすのでした。

 

振り返ってみると、25年という月日は、あっという間の出来事のようなものです。

そこには、夫婦でも楽しい思い出ばかりではなく、辛いこと・悲しいこともありました。

夫婦で言い争いになり喧嘩したこともあれば、子供を厳しく叱ったことや、仕事や人間関係で悩んだ私を励ましてくれた妻や子供達の言葉も蘇ってきます。

 

「そんなこともあったわね」と言う妻。

「あの時のお壮さんは本当に怖かったけど、それだけ私を心配しれくれてんだね」と言う娘。

「今考えると、親父も必死で働いてたんだな」と就活中の息子。

 

これもみな、銀婚式の写真があるからこそ、我が家の懐かしい思い出を掘り起こしてくれるのです。

 

金・銀婚式祝い・結婚記念日写真は福岡市フォトスタジオ原田写真館(香椎参道通り)

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